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昭和の杜

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第百十六師団衛生隊の戦歴
昭和十三年五月 第百十六師団第六動員第一合令達せられ、京都に於いて衛生隊が結成された。
昭和十三年六月 輸送船にて大阪港を出発、中国の大陸、上海に上陸し杭州に到着後、湖州付近の警備に任ずるとともに討伐戦に参加した。
更に南京に進出し駐留後、昭和十三年九月揚子江を遡上、安慶に到着。衛生隊は師団司令部を置いた安慶の県城警備の任に就き、四年余りの間、治安、医療、復興に携わる。その間揚子江両岸の敵據点への度たびの掃討戦に参加。衛生隊として出動火戦の戦傷病者の収容、坦送に善戦した。
昭和十八年十月戦局の緊迫化に伴い、常徳殱滅作戦に出撃。常徳城攻略後、武漢地区に反転した。衛生隊は漢口到着後、武昌警備の命を受け半歳余り武昌市内に駐屯した。
昭和十九年五月に発動された、相桂作戦では転戦を重ね怒擣の進撃を続けたが、衛陽攻略戦では四十余日を費やし、我々衛生隊は自らも戦い多くの戦死傷者を出すに至った。
昭和二十年四月に発動された荅江作戦には峻嶮の雪峰山脈に突入したが、我が方は壊滅的な打撃を受け、一ヶ月余りの死闘の上、宝慶地区に撤退した。
昭和二十年八月十五日夢想だにしなかった終戦を奥深い宝慶で迎え、一年余りの凡ゆる苦難に耐えて敗戦の祖国への復員することができたのである。
第百十六師団衛生隊戦友会 嵐衛会

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