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今日のこの日
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○江進攻作戦、そして〜久貝氏回顧録〜
有為転変の儚い人生は、夢か現か幻か。戦後50余年、倒産、病気、死別、離別、 どんな苦しみも何とか自分の心の中で消化してきた。しかし、どうしても消化出来 ないまま鮮明に脳裏に焼き付き、今でも夢に見る事があるのは、在支4年余りの苦 しみの戦場生活の記憶である。昭和20年、日本全土が空襲と原爆で灰燼に帰し、 残すは本土決戦のみという状況に追い込まれる中、支那派遣軍は決死玉砕覚悟で、 ○江作戦に臨むこととなる。○江飛行場は本土へと向かう米軍の爆撃機B29の基 地であり、本作戦の目的は ○江航空基地の覆滅であった。最後の大作戦に出発の前、絶筆として両親に便りを出した。 「好男只敵撃滅に邁進あるのみ。大義の存する所、生なく、死なく、己なし。御身ご自愛下さい」。 人は本能的に死を恐れる。しかし、連日の死との対決で、頭の中は死ぬことを忘れていた。20軍の突出師団、 特に突出聯隊の109聯隊の損害は最も大であり、同期の陸軍少尉は十数人、全員戦死または負傷し、 最後まで戦列を離れず孤軍奮闘したただ1人の少尉、指揮官だった。阿鼻叫喚、断末魔、激烈苛酷……凄惨な連日の死闘、 耐え難い極限の戦場で、十数倍の米支共同軍が待ち受ける比高1000米以上の大雪峰山脈への突進を繰り返すが、 突進は出来ても後方補給はなく、弾薬食糧は携行分のみ。 夜明けから日没まで雨天でも視界の利く限り片時も離れず空一杯に群がり舞う米軍機、爆弾、銃撃、 ガソリン入りドラム缶やナパーム弾攻撃、鬼哭啾々、火炎地獄、凄惨な間断なき迫撃砲の集中に 天地もひっくり返る猛攻を受ける中、不眠不臥、断食断水の激戦が3週間余り続いた。敵を殺さねば我が身が殺される。 死ぬは易く、生きて戦うことの難しさ、戦う魂のみが行動していた。やがて終戦となり、昭和17年より4年ぶりで内地に 復員することが出来たが、この間留守宅払いにしていた俸給は全然支払われていなかった。 死と恐怖の報酬は4年余り全くの零、何もなかった。侵略と言われ頭が上がらず、矛盾だらけの全く訳の分からぬ、 無報酬の第1回目の人生の終末だった。九死に一生を得て今85歳を迎え、人と違った幸せを感じている。 大切な残り少ない人生、亡き人の冥福を祈り、感謝の気持ちを忘れず、人と人との関係を大切に、 人に嫌がられず喜んで貰えるよう、1日1日を精一杯有意義に生きていきたい。
念彼観音力 福聚海無量  合掌
ぼうふらや 金魚の前で コラサツサ

109会 久貝 好男

注)文中の「○」には草冠に「止」という漢字が入ります。


昭和の杜友の会 新春初例会
1月20日午後5時より「かに家・祇園店」にて、恒例の昭和の杜友の会の新春初例会が開催された。
みたま祭万灯会・奥村由三会長の挨拶に続き、山田和彦崇敬者総代の乾杯のご発声により懇親会が開催された。 参加された会員は、部隊を離れ、国難の時代を振り返りつつ、懇親を深められた。


1月13日 天地守教団・初詣 11月22日 120会・清掃奉仕
本年も天地守教団京都分教会会員らによる初詣が1月13日の正午から執り行なわれた。


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